英文和訳 学習記録

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英語の勉強を記録していきます

New Treasure2 Lesson12

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L12-1 英語に直しましょう

ワシントンD.C.で何をしたいですか、ケビン?

私はできるだけ多くの場所を見たいです、そしてほかのどの場所よりもホワイト

ハウスを訪れたいです。

わかりました!

私たちはできるだけ早く到着して1600ペンシルバニア通りへまっすぐ行きましょう。

わぉ!アメリカで最も有名な住所だ!

はい。それは私たちの家の30倍以上大きいです。

今夜はできるだけ早く寝ましょう。

私たちが良く眠れば、いつもより2倍多く明日は観光できるでしょう!

 

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L12-2 英語に直しましょう

ユミ、日本語でどのようにあなたの名前を書けばよいか示してくれますか。

いいですよ。はいどうぞ。

それは絵のように見えます!それが何を意味するのか教えてください。

それは『夕方の美』だと思います。

日本語でわたしの名前『マリア』を書いてくれますか。

これはどうですか。

わたしはそれをカタカナで書きました。わたしは漢字を使いませんでした。

なぜ使わなかったの?

カルロスは日本人がどのように3つの種類の文字を使うことができるのか不思議 がっています。

わたしたちはたいてい外国の名前をカタカナで書いています。

 

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L12-3 英語に直しましょう

今度の日曜日あなたはわたしの両親とわたしとランチに行きますよね。

はい。そのレストランはステートストリートにありますよね。

はい。あなたは以前にそこに行ったことがありますか。

いいえ。しかしあなたは先日バスでそこに行けると教えてくれましたよね。

ああ、思い出しました。それなら私はあなたを迎えに行かなくてもいいですよね。

はい、私は自分でそこへ行けると思います。

ありがとう、ミン。それではまた日曜日に。

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L12-4 英語に直しましょう

親切にしてくれてありがとう。

なんとすばらしい経験だったのでしょう!

その通り。一緒にいられることに勝るものはありません。

私たちはあなたがいなくてさみしくなるでしょう。

私が作った日本の折り紙のつるをどうぞ。

それらはなんてきれいなんでしょう!

ほら、見て!なんてすてきな贈り物なの!

さようなら、おばあさん、おじいさん。気をつけてね。(安全な旅を)

さようなら、ケビン。あなたは本当にいい子だね。

気をつけて!さようなら!

みんな、またね。ありがとう!

 

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READ 英語に直しましょう 

アメリカはしばしば自由の国(土地)と呼ばれます。

2008年、その自由は大きな変化をもたらすために使われました。

バラク・オバマアメリカの第44代の大統領として選ばれ、

アメリカの歴史で最初のアフリカ系アメリカ人大統領になりました。

2009年1月20日、180万人以上もの人々が新大統領による演説のためにワシントンD.Cに集まりました。

彼は戦争や経済などの問題についてや、なされることが必要な仕事について話しました。

2012年の再選の後、彼はすべてのアメリカ人に未来は不確定だが「自由の貴重な光」をもたらすよう頼みました。

 

アメリカの奴隷は1865年の南北戦争のあと解放され、政府は新しい法律を作りました。

奴隷は自由だけでなく市民権も得ました。

しかし、奴隷を自分のものにしておきたい人々はこれらの新しい法律を受け入れたくありませんでした。

ジョージアアラバマミシシッピなどの南の州では、州の法律が「黒人」アメリカ人を「白人」アメリカ人と分けるように作られていました。

これらの州では、黒人が公衆トイレを使いたい時や公共のプールで泳ぎたい時、

水飲み場で飲みたい時、バスや電車に乗りたい時、レストランで食べたい時、彼らは白人のエリアとは分かれたエリアに行かなければなりませんでした。

黒人は白人のエリアに入っていくことを許されていませんでした。

黒人のアメリカ人は南北戦争のあと投票する権利も与えられていました。

しかし実際は、南の州の政府が投票のための新しい規律を作ったので、彼らはほとんど投票の機会がありませんでした。

投票するためには彼らは難しいテストを受け、お金を払わなくてはいけませんでした。

黒人アメリカ人は第二次世界大戦後もこれらの不公平な状況に耐えなくてはいけませんでした。

多くの白人はまだ、なぜ黒人が白人と混ざるべきなのかと不思議に思っていました。

 

 

そして、1955年12月1日、アラバマの州都であるモンゴメリで、アメリカの市民権の歴史を変えることが起きました。

その日ローザ・パークスという名前の女性がバスに乗っていました。

彼女は黒人の席に座っていました。

白人の人々の席がすべて埋まってしまったとき、バスの運転手は彼女に言いました、「あなたの席を白人男性に譲りなさい!」

彼女は思いました、「なんて失礼な男なのでしょう!」、そしてそうすることを拒否しました。

驚くべきことに、彼女は逮捕されてしまいました。

黒人のアメリカ人はこのことに怒りました。

彼らは彼女がなぜ逮捕されたのか理解できませんでした。

マーティン・ルーサー・キング, Jr.は彼らのうちのひとりでした。

彼は同じ都市の教会の牧師でした。

彼はよい家の生まれでしたが、彼が黒人だというだけで差別されていました。

彼は「モンゴメリ・バスボイコット」と呼ばれる運動のリーダーになりました。

この運動の中で、モンゴメリの黒人たちは都市のバスに乗ることをやめる決意をしました。

彼らは平等な権利を州の政府に求めました。

1956年最高裁判所はバスでの人種差別は違法だと判決を下しました。

 

これは1950年代と1960年代の市民権運動の始まりでした。

市民権運動は暴力的ではありませんでした。

運動に参加していた人々はレストランで食事を出されるまで白人エリアに座り、通りでデモを行いました。

徐々にますます多くの人々が運動を支持し始めました。

20万人以上のさまざまな人種の人々が1963年8月28日のワシントンD.C.のデモに参加しました。

その日、マーティン・ルーサー・キング, Jr.は歴史的なスピーチ「I Have a Dream.」をしました。

彼のスピーチで、彼の夢は国を変えることだと言いました。

その新しい国では、彼の4人の小さな子どもたちが肌の色によってではなく、彼らの中身によって判断されるのです。

50年後、キング牧師の夢は叶いつつあります。

そのアメリカの変化はまだ続いています。